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2023.9.16 中野方町生活だより part.3

中野方町生活だよりpart.3

こんにちは。中野方町に滞在中の今関悠也です。

今回は、ある意味魅力的な中野方町の地名シリ―ズの第2回目をお送りします。

地名シリーズ「山の街道の本当の意味について」

僕は中野方町に滞在している一か月間、農家民宿の「山の街道」さんにお世話になっています。最初に「山の街道」という名前を聞いた時は、中山道や黒瀬街道のような険しい山に敷かれた街道沿いに立っていることから命名されたのかなと思っていました。

しかし、山の街道にお住いの安江かほるさんに「ここは民宿をやるもっと昔から『山の海戸』と呼ばれとった」という言葉を聞いて、ただの屋号ではなく、地名に基づいたものであることを知りました。そして農家民宿をやられている土地には昔、大きな屋敷が建っており、中野方に広大な土地を所有していたということも聞きました。

そこで、この前のコラムでも引用した「生きている町ー中野方町史ー」を読み直したところ、答えのようなものが出てきたのでそれを共有したいと思います。

まず、「山の海戸」の「海戸(カイト)」というのは正式なものではなく、本来は「垣内(カイト)」という風に書くのが正しいそうです。この「垣内」という地名は、「まわりに土塁や堀をめぐらした武家屋敷や、土地」のことを指す言葉であることが分かりました。さらに「何々垣内」という風に呼ぶのが普通らしく、「鍛冶屋垣内」や「紺屋垣内」など職業名を冠したり、「東垣内」、「西垣内」、「上垣内」、「下垣内」という風に方角や方向を冠するものもあるそうです。

そして、中野方町には、9つの垣内がつく地名が存在することも分かりました。(他の垣内を紹介するとあまりにも長くなるので、皆さん是非「生きている町ー中野方町史ー」を読んでください。)そこに私が住んでいる「山ノカイト」の説明も書いてあり、「山ノカイトは、白川町へ越す峠近くの小さな洞地を指す地名となっている。」とのことでした。確かに、現在の「山の街道」から中野方峠をひたすら登っていくと白川町に着きますし、安江かほるさんの言っていた「大きな屋敷が建っていた」とする説明も合わせると垣内の地名と合致してきます。

まとめると、この「山垣内(ヤマノカイト)」というのは、「白川町へ越す中野方峠近くの洞地にある土塁や堀をめぐらした武家屋敷や土地」の意味になることが分かりました。

今回は、僕がお世話になっている「山の街道」についての地名のお話でした。次の地名シリーズもお楽しみに。

参考文献「生きている村ー中野方生活史ー」 安江赳夫 昭和43年1月1日 発行