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2023.9.14 中野方町生活だより part.2

中野方町生活だよりpart.2

こんにちは。中野方町に滞在中の今関悠也です。

今回は、ある意味魅力的な中野方町の地名シリ―ズ第1回をお送りします。

地名シリーズ「中野方という地名について」

中野方町にお住いの方は、あまり疑問に思ったことはないかもしれませんが、僕は中野方町のことを初めて知った時から、「なかのほう」という読み方に疑問を持ってきました。なので、今回は恵那市中央図書館で調べたことを少し共有して、少しでも中野方町の地名の魅力を伝えていけたらと思います。

中野方という地名ですが、調べたところ時代によって読み方や漢字が少し異なっているようです。「生きている村ー中野方町史ー」によれば、慶長6年(1601年)美濃国一国郷牒では「中之洞村」、元和2年(1616)美濃国村高御領地改帳では「中野洞村」、寛永美濃一国帳では「中保村」、正保2年(1645)美濃国郷帳では「中ノ方村」、寛永4年には「中野方村」、そして元禄から明治の間には「中之方村」という風に変化していったそうです。

この本を書かれた安江赳夫さんによれば、村名の「なかのほう」の由来は中之保と書いたり中保と書いたものがあることから、古代五保(古代に住民支配のために設けられた連帯責任組織)の名残であるとする説があるとするも、上ノ保も下ノ保も付近の地名に無いことから、単に中の方の洞、あるいは盆地の奥といった地形による「なかのほら」が変化したものと判断しています。

余談ですが実は、「なかのほう」と似た地名の地域が岐阜県内にもう一つあるのをご存じでしょうか。今は関市に合併されましたが、かつて武儀郡中之保村という地域がありました。その地域の近くには下之保村もあり、このことからこの中之保という地名は古代五保と関連がありそうです。

今回は中野方という地名についてでした。中野方町の魅力的な地名をこれからも調べてみたいと思います。読んでいただきましてありがとうございました。

 

参考文献「生きている村ー中野方生活史ー」 安江赳夫 昭和43年1月1日 発行