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移住者さんの暮らし

東京サラリーマン一家、中野方に移住する【2】

前回の記事では、東京に住んでいた私たち家族が、コロナ禍を機にもっとゆったりした場所への転居を考え始めたところまでお話ししました。

それはあくまで「夫が通勤できる範囲で」という条件付きの話だったのですが、2020年末、その前提が突然消えてなくなるという出来事が起こりました。

 

今頃は横浜市民だったかもしれない話

実は、2021年年初に都内から横浜郊外に転居する計画を立てていました。夫の勤務先の本社は横浜にあり、2021年1月から本社勤務となる予定だったからです。

それが突然覆ったのは2020年11月、まさに新居候補の内見に行く前日のことでした。コロナの影響もあったとはいえ、先行きに不安を感じる要素がもともと多かった会社でもあり、夫は退職を決意。そして、2021年1月に退職しました。

予想外の退職劇により、「移住」という選択肢が急浮上しました。退職は厳しい選択でしたが、会社という縛りなしに将来を考えられるという解放感があり、少なくとも私は「これは大きなチャンスだ」と感じたのです。

移住を考え始めた当初は、思いっきりリセットボタンを押したい気持ちもあり「まったく知らない所がいい!」と、道南や瀬戸内方面を候補として考えていたこともありました。

 

ひとつの出会いが、岐阜に目を向けるきっかけに

東京・有楽町に、各都道府県の移住相談窓口が集まる「ふるさと回帰支援センター」があります。移住を考え始めた東京の人の多くは、最初にここを訪れるのではないかと思います。

私たちも、まずはそこで資料でも集めようと出かけていきました。そこで、声をかけてきたのが岐阜県の窓口の方だったのです。

新天地を探したいという思いから、当時は私の地元・愛知の隣県である岐阜はまったく眼中にありませんでした。しかし、その方はひたすら岐阜推し!ではなく、こちらの話を聞いて、岐阜云々以前に移住すること自体についての示唆に富む話をしてくださいました。

なぜ移住をするのか?移住した人たちはどのように地域に入っていくのか?移住後の仕事はどうするか?…夫婦揃ってその話に感じ入るところがあり、改めて、自分たちの「移住」について見つめ直すきっかけともなりました。

そうして一段深く移住について考え、家に戻ってもらった資料を眺めていると…あら不思議。「岐阜、いいかも…」と夫も私も思い始めているではないですか。まさに、その方一人からの影響で岐阜への道が開かれていったのです。

 

未知のエリア、木曽川の北

その後は岐阜の情報を中心に集め始め、オンラインの移住セミナーにも何度か参加しました。

私の両親が地元(豊田市稲武地区)に住み続けるつもりであることもわかり(いずれ不便な稲武を離れ、弟の住む札幌に移るものだと勝手に思い込んでいた)、それならば行き来しやすい東濃エリアに、と移住候補地を絞り込んでいきました。

しかしまだその時点では、夫の就職や生活利便性を考えて、私たちは市街地に住むことを検討していました。

そんな頃、おみやげ付きに惹かれて何となく申し込んだのが中野方を含む笠周3町の移住セミナーでした。恵那の南隣にあたる稲武で育った私は、恵那市街や恵那市の南側(岩村や上矢作)は馴染みのある場所でしたが、木曽川の北にも恵那市が広がっていることはそれまで知らなかったのです。

「木曽川の向こう側も恵那だったんだ!ていうか、木曽川って恵那に流れてたのか」「稲武レベルですごい田舎なんだろうな…」と驚いたりいろいろ想像したりしながら、おみやげが届くのとセミナーの日を待つことになったのでした。

(次回に続く)