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移住者さんの暮らし

スピード婚から1年。中野方で2人が描く夢:林貴光さん・みるりさん

今回お話を伺ったのは、Uターン後に恵那市最年少の市議会議員となった林貴光さんと、結婚を機に中野方にやってきたみるりさんのご夫婦。

貴光さんのUターンとみるりさんとの出会いのいきさつ、現在の生活、お二人が目指す将来や中野方で叶えたいことなどなど、興味深いお話をたくさん聞かせていただきました。

(2023年2月取材)

 

Uターンしてのんびりしていたら…「ぜひ市議会議員に」!?

 

――まずはそれぞれ、お二人のこれまでについて伺います。貴光さんはUターンですが、それまではどんな生活を?

貴光:高校卒業後に中野方を出て、名古屋でしばらく大学受験のために予備校生活をしていました。でも、次第に「大学に行く」以外の世界を見たくなってきて。それで以前から暮らしてみたかった東京に行き、さまざまな仕事を経験しました。最終的には管理職になりましたが、30代後半くらいになった頃に「家に戻ろうかな」と思い始めました。

――なぜでしょうか?

貴光:長男だからというのもありましたが、「戻らなければいけない」というよりは「戻りたい」という気持ちでした。東京の生活にも少し疲れていたのだと思います。結局40を超えてから中野方に戻ってきました。帰ってからしばらくは、親の農業を手伝ったり山遊びなんかをしたりしてゆっくり過ごしていたのですが、そうしていると田舎の良さをしみじみと実感して。戻ってきて良かったなと心から思いました。そして、そろそろ仕事を探そうとしていたところに、「市議にならないか」と声がかかったのです。

――それは誰から?

貴光:中野方で長く市議をされていた方がいたのですが、その方から引退するので跡を継いでほしいとお話をいただいたんです。すごく驚いたし、自分はそんな器じゃないと何度もお断りしたのですが、それでも足を運んでくださって。それで本当にたくさん悩み、迷った末にお引き受けすることにしました。

――大変な決断ですよね。決め手はなんだったのでしょうか?

貴光:ひとつは、自分が成長できると思ったこと。もうひとつは、自分の生まれ育った地域に恩返ししたいという想いです。地域のために働けるこんな機会は、これを逃したらないだろうと思いました。幸い「オール中野方」で応援してくださった上に、立候補者の中で最年少だったこともあってか予想以上に票をいただけて、無事に当選を果たすことができました。

 

「付き合い期間ゼロ」の結婚

――みるりさんは、結婚前は東京に住んでいたんですよね。

みるり:出身は福岡で、大学卒業後は横浜で5年間小学校の先生をしていました。その後、1年くらいは東京でアルバイト生活。ミュージカルに出たり、占い師をしたりと、とにかく興味のあることは何でもやった1年間でした。その頃ナレーションスクールにも通っていたのですが、ある日そのスクールの受講生仲間から「岐阜県恵那市で国政選挙のウグイス嬢をやってみないか」という話があったんです。

――東京に住んでいて、いきなり岐阜で仕事ってちょっとびっくりしますよね。

みるり:そうそう。でも、もともと自然農や食の安全に興味があって、講演会なんかに出かけると岐阜の地名が出てくることがよくあったし、実際に白川町(恵那市の隣町)に稲刈り体験に行ったこともあったから、なんとなく岐阜に対して親しみは感じていました。それに本当にたまたまですが、友人が当時中野方の坂折棚田でカフェをやっていたんです。彼女がSNSで棚田カフェの様子を話すのを時々聞いていて、行ってみたいなと実は思っていて。そんなところにピンポイントでウグイス嬢の話が来たので、これはもう導かれたんだなと思いました。

――そして、その選挙のお仕事の時に貴光さんに出会った。

みるり:はい。彼も市議として選挙応援をしていましたから。ウグイス嬢のお仕事の間は、棚田カフェをやっている友人の家に泊めてもらっていたのですが、恵那市街の選挙事務所までの送迎を彼がしてくれていたんです。ウグイス嬢の仕事は実質4日間で、その4回の送り迎えの車の中で本当にいろんな話をして。期間中、ここ(林さん宅)に1回だけお邪魔した機会がありましたが、その時に「次の私の住まいはここだ」と直感的に思ったんです。その後はLINEや電話のやり取りを続けて、ちょうど1年前、彼に会いにまたここにやってきた。

貴光:僕はその時に心を決めて、プロポーズしました。初めて出会った頃から、価値観が合うなとは感じていたんです。その後、LINEでやり取りする中では市議会の一般質問の原稿を添削してもらったりもして。そういうこともしっかりとできるし、何より彼女は人前に出るのが苦でない人だから、議員の妻としてもやっていけそうだなと。彼女は直感的に決めていたようですが、僕は歳を重ねている分、やはりいろいろと考えましたね。それでも、「付き合い期間0日」で結婚を決めてしまったわけですが(笑)。

 

「議員活動×農業」&「セラピスト×学校の先生」

 

――みるりさんはウグイス嬢のお仕事の時に1回、1年前にまた1回中野方に来て、3回目はもうお嫁さんとしてこのお家に住むことになったんですね。結婚して1年弱ということですが、振り返ってみていかがですか?

貴光:何年か付き合って「この人」となったわけじゃないから、一緒に生活してみて初めてわかることって本当にたくさんあって…。

みるり:一緒に暮らし始めてからぶつかり合いも始まって。月1、2回は大ゲンカしていましたね。でもそれは、二人にとって必要な衝突だったんだと思います。

貴光:そうだね。ようやく年末頃くらいに「あ、ソリが合ってきたな」と感じられるようになってきた。衝突はハードだったけど、それによってお互いの性格や考え方がわかってきて、少しずつ夫婦らしくなってきたというか。

――今のお二人の生活は、どんな感じなのでしょうか?

貴光:僕は、年4回開かれる議会に合わせて忙しさの波がありますね。地域の課題を伝え、行政に動いてもらう契機となりうる「一般質問」の機会は、特に大切にしています。中野方、市全体とどちらもしっかり見るようにしていますが、特に移住・定住推進や農林振興に注力しています。普段からさまざまな団体や活動に参加して、地域課題を知り、解決に向けて取り組みを続けていきたいと思っています。

――議員活動と並行して、実際に農業もやっていらっしゃいますよね。

貴光:自然農に関心があって、今はニンニクの栽培に力を入れています。あとは、祖父の代から続いている栗畑の手入れも。地方議員は他の職業と兼業という人も多いのですが、僕は農業かな。やっぱり、土や植物に触れるのが好きだから。彼女も、今シーズンは栗拾いをよく手伝ってくれました。

――みるりさんは、中野方で今年度開催された「えなローカル起業カレッジ」を受講されていましたね。

みるり:カレッジの最終回でも発表しましたが、サロン開業に向けて準備を進めています。場所を借りるめどもついていて、今は少しずつSNSで発信したり、アロマの施術をお試しで知り合いに受けていただいたり。週に3日は小学校の非常勤講師をしているのですが、その合間にアロマの知識を深めるための勉強をしたり、なるべく多くの人に会うようにしたりと、こつこつとオープンに向けた取り組みを続けている感じですね。

 

中野方をポジティブな循環を生み出す「ユートピア」に貴光さんが小屋を建てたいと話すのはこのあたり。笠置山を望む気持ちのよい場所です。

――最後に、将来の夢や展望についてお聞かせいただけますか?

貴光:プライベートでは、家族が増えたらいいなと思っています。子どもがいて、犬もいて。賑やかで楽しい家庭をつくっていきたいなと。

みるり:犬は2匹かな。犬もきっと友達がいる方が楽しいから。あと、小屋を建てたいって言ってたよね?

貴光:そうそう。うちの余っている土地に囲炉裏のある小屋を建てて、人が気軽に集まれるような場を作れたら楽しそうだなって。

みるり:それから、私は自分から循環を起こしていける人になりたいと思っています。そのひとつが「癒やしの循環」。自分が誰かを癒やしたら、その癒やされた人の振る舞いや行動が自然と良い方に変わる。そして、その人に関わる周りの人にも良い影響が伝わっていく。その連鎖を最初に回し始める存在になれたらいいなと。

貴光:農業ももっと充実させていきたい。「アグリヒーリング」という言葉もありますが、きれいな景色を見て、きれいな空気を吸い、太陽の光を浴び、体を動かすことで、自然からたくさんのエネルギーをもらえる気がします。農業には、本当に多くの可能性があると思う。農福連携など、農業と何かの掛け合わせにもチャレンジしていきたいですね。彼女とも一緒にできたらいいなと。

みるり:うちで穫れたもので何か作って売ったり、畑で収穫して保存食を作るワークショップなんかもやってみたいなと考えたりしています。

貴光:中野方の自治振興会長さん(「町長」のようなポジションの方)とこの町の将来についていろいろとお話しする中で、「中野方をユートピアにしたい」という想いを伺って。この言葉にとても共鳴したんですね。この場所は日本の真ん中で、笠置山という霊山があり、縄文時代から人が住んでいた土地。そんなパワーのある場所だから、田舎に憧れる人たちが世界中から集まるような「桃源郷」にしたいという夢があります。議員として地域や市の課題解決に引き続き取り組みつつ、公私ともに中野方の良さを活かせる楽しいことをいろいろやっていきたいと考えています。