農家民宿を中心に「多業」で暮らす:長江賢太郎さん・由規枝さん
長江さんご一家は賢太郎さん、妻の由規枝さん、長男(小1)、次男(年中)、長女(2歳)の5人家族。2018年に中野方に移住、現在は農家民宿「暮らしの宿 ときのうた」をはじめとして、さまざまななりわいを手がける「多業」スタイルで生活しています。
今回は長江賢太郎さん・由規枝さんご夫妻に、移住の経緯や移住後の生活について、また移住5年目で感じる中野方の良さ、今後の展望などについて伺いました。
長江さんの農家民宿について、詳しくは以下リンクをご覧ください。
「暮らしの宿 ときのうた」HP
サイト内記事「農家民宿を経営中」
(2022年9月取材)
◆自給自足の生活を求めて
――最初は岩村(恵那市の南側)に移住されたんですよね。
賢太郎:名古屋でサラリーマンをしていたのですが、自給自足の生活に憧れて。地元は土岐市ですが、土岐はどちらかというと陶器産業のまちで農村とかそういう感じではなくて。岐阜県の西の方は街だから、それなら東なら求める田舎があるかなと思って、あてもなく車を走らせて見つけたのが岩村の農村風景でした。その第一印象で決めて、地元の人に声をかけて少しずつ知り合いを作って、いい感じの家も借りられることになったんです。
――そこで、自分がやりたいと思っていた生活をスタートした。
賢太郎:そうです。田んぼと畑を借りてお米や野菜を作って。今もやっている、地域の方からの頼まれごとをする便利屋のような仕事も当時からしていました。ワークショップや講演会を開いたり、学童保育の指導員をしたり、助け合って共同で暮らす「エコビレッジ」に1ヶ月研修に行ったり…いろいろしていましたね。
――由規枝さんとは岩村で出会っているんですよね。
由規枝:私は当時土岐に住んでいて、看護師として病院で働いていました。夜勤もあったし、朝も夜もない生活にすごいストレスを感じていて、人間らしい生活に憧れていました。スローライフに関心のあった姉に誘われて、彼の主催するイベントや講演会に出かけたのがきっかけで知り合い、結婚。長男と次男は岩村で生まれています。
――結婚していきなり自給自足生活…大丈夫でしたか?
由規枝:長男が生まれるまでは病院勤めを続けていて。だからほんとお手伝いくらいの気分で、何も覚える気もなくて任せっきりで…。当時彼が合鴨農法をしていたんですけど、その鴨を逃がしちゃったりとか、最初はいっぱい失敗していました(笑)ちゃんといろいろやり始めたのは、中野方に来てからですね。
◆5年前に中野方に。農家民宿オープンへ
――岩村から中野方に移ったきっかけは?
賢太郎:当時の家主さんから、家を処分したいという話が出て…。それで新たに家を探さなきゃいけなくなったんです。前から中野方もいいなと思っていたところに、知人からいい物件があると聞いて見に行ってみたらすごく良くて。でも、ほかにも購入希望者が3組いました。うちは家を明け渡さなきゃいけないのは決まっていたので、もう背水の陣。どうしても地域面談(※中野方では、空き家バンク物件の購入・賃貸の際に行われています)を通過したくて、この家で何をしたいかという手書きのプレゼン資料まで作って臨みました。
――「この家にしよう」と決めたときから、農家民宿の構想はあったのですか?
賢太郎:農家民宿というところまで落とし込んでいたわけではないけど、田舎の豊かな暮らしをたくさんの人に体験してほしいという思いはありましたね。自分たちの暮らしの中に、いろんな人に入ってきてもらえたらいいなと。
当時、中野方ではもっと農泊を増やそうと推進協議会が立ち上がったところでした。それならその流れに乗って、自分たちの構想を農家民宿という形で実現させてみようと考えたんです。
――そして見事、今の家を射止めたんですね。すぐ宿を開いたんですか?
賢太郎:2018年の夏に引っ越してきたんだけど、すでに翌年3月にお客さんの受け入れが決まっていたんですね。大学生のオリエンテーリング大会が中野方であるので、それまでにオープンさせてほしいと…。まだ小さい長男と赤ちゃんの次男を抱えての引っ越しも大わらわだったけど、その後の準備も本当に大変でした。
家の中や外の改装をしながら、開業に必要な書類をいろいろ作って申請して、審査も受けて…。真冬のものすごく寒い中、外で水道のパイプを通すための穴を汗だくになって掘っていたり。結局それがたたって高熱を出し、開業直前なのに倒れてしまったこともありました。
由規枝:何とか開業にこぎつけて、初めてのお客さんがいきなり7、8人と大勢で…。それもてんやわんやでしたね。
――自分たちで古民家を改装しながら手づくりの暮らし…すごくゆったり穏やかなイメージがありますけど…。
賢太郎:いやあ、全然そんなんじゃなかったですよ(笑)。時間に制約がなければ違ったかもしれないけど、ほんときつかったなぁ。
◆モザイクのように、さまざまな仕事を
――農泊のほかにも、いろんなお仕事をされていますね。
由規枝:私は、基本的には料理をはじめとした宿のことと、畑の担当。あと、長女がまだ2歳で家でみているので、育児も。そして月1回、「かるがも会」という子育てサロンを開いています。
賢太郎:畑はもうかなり任せていますね。今は僕よりもずっと上手くやっている。
由規枝:多分、彼も手放せるようになってきたんだと思います。これまでは、自分のやり方できちんとやってほしいという思いが強くて、大雑把な私のやり方は受け入れづらかったんだと思うけど、かなり忙しくなってきたから手放さざるを得なくなったというか。私流でやっても、野菜はまずまず穫れているし。
――由規枝さん、お料理を学んだ経験は?この前初めて伺って、本当に食事が美味しくて、彩りもきれいで感動したんです。
由規枝:習ったことはないんです。ただ食べることは好きで、料理好きの方のお宅でごちそうになって美味しかったものや、近所の方に教えてもらったものを自分なりに作っているだけで…。家庭料理の延長なんだけど、食事を少しでも楽しいものにできたらと思って。
――賢太郎さんの方のお仕事は?
賢太郎:僕は今は、家にいるときは宿の仕事、そして田んぼとか家の補修とか、いろいろと。便利屋の仕事もずっと続けています。ほかには…ワークショップの主宰、子どもキャンプ、特殊伐採、山の仕事、庭師、コーヒー焙煎、そして町の地域支援員も。
――モザイクみたいにいろんな仕事があって。何でもできるのはいいなぁって思います。
賢太郎:自分の暮らしはまず自分で作るというのが大前提としてあるので、それだけでやることはいっぱい。それらが派生した形でなりわいがあるという感じですね。ひとつのことを極めるのもよかったかなという葛藤がないわけじゃないけど、今までの流れから、結果的に多業になっていますね。
取材当日は、賢太郎さん焙煎のコーヒー&由規枝さん手づくりのケーキをいただきました。
◆つながりと日々の暮らしを大切に、次の夢を描く
――移住して5年目ですが、中野方のいいところは?
賢太郎:人とのつながりがちゃんとある、というところでしょうか。「おきもり」(町内ボランティアによる高齢者送迎サービス)のように、お金を介さずに「できる人がやる」「助け合う」という精神が自然と根付いている。野菜など、自分のところで採れたものの交換も日常ですし。
この間、トラクターが畑の中で止まってしまって、2、3日そのまま置いておいたんですよ。そうしたら、近所の人が見ている。その後、息子たちが「〇〇さん来てるよー!」と言うので畑に行ってみたら、何も言わずに修理してくれているんですね。それこそ油まみれで、だいぶ時間もかかっていたからいくらか払いますって言ったんだけど、「そんなのいらんいらん、逆に遊ばせてもらったわ」と。楽しませてもらった、ありがとうって帰っていったんですよ。
――かっこいい…!
賢太郎:そういう人間関係の濃さ、田舎ならではの良さがある。もし大きな災害が起こっても、中野方はすごく強いんじゃないかと思いますね。
――最後に、今後の展望についてお聞かせください。
賢太郎:基本の暮らしのベースは同じ。田んぼと畑をやって、自分で使うものはなるべく自分で作って。
なりわいについては、変わっていかなければならないこともあると思います。今は子どもが皆小さくて、宿のお客さんが一緒に遊んでくれたりしますが、これから3人の子どもたちが順番に大きくなっていきます。中学生くらいになったら、週末ごとにお客さんが来るのが鬱陶しく感じるようになるかもしれないし、お客さん側としても、大きな子が3人もいたら手狭に思うかもしれない。でも、この家は構造的にお客さんと自分たちを完全に分離することができないので、今の形での農家民宿は、長男が中学生になるくらいまでの、せいぜいあと5年くらいなのかなと思います。
――そうすると、何か別の形を考えている?
賢太郎:この家の上に全然使っていない農地があるので、そこに小屋というか別棟を建てて、1棟貸し切りのスタイルにしようかと。整地して、自分で木を伐って製材してもらって。
――自分で建てる。
賢太郎:そう、自分で。建てるの自体は2年くらい、整地や伐採、製材を考えるとさらに2年でだいたい4年くらいかかるかな。そうすると、ぼちぼち始めなきゃというタイミング。小屋の構想を二人で今描いているところです。
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新たなスタイルの宿、楽しみですね!
田舎に移住してみたいという方は、手づくりの暮らしやスローライフに憧れる方が多いのではないでしょうか。宿を運営しながら野菜やお米を育て、古民家に少しずつ手を入れ、地域の依頼に応じてさまざまな仕事をする…。そんな、「憧れ」をまさに実現させたような長江さんのお話。想定外の失敗や大変さも実はあるのだけれど、田舎にしかない確かな豊かさを感じました。